磐城棚倉

乗り鉄紀行、今日はバスです。

といってもこのバス路線、もとは鉄道跡地。

バス専用路線とした白棚(はくほう)線です。

東北本線の白河と、水郡線の磐城棚倉(たなぐら)との間には昭和19年に廃線となるまで鉄道が走っていましたが、戦後になり、当時も珍しいバス専用道路として復活しています。

高校生のときに白棚線のバスに関する映画ニュース(?)を見たのですが、それから10年余り経て、白河から磐城棚倉まで乗車する機会を得ました。

信号もなく、他の車に邪魔されず、途中駅 (これぞ“道の駅”) で棚倉からのバスとのすれ違いがあるなど、鉄道に乗っているような感覚でした。

さて、白河も棚倉も城下町です。白河城主での著名人は寛政の改革の立役者、松平定信。

「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」

の狂歌を思い出します。

どうしても棚倉を訪れたかった理由は、ここが戦国時代から江戸初期の武将 立花宗茂ゆかりの地だからです。

当時、ワタシは、柳河城址、福岡市の立花山、太宰府の裏山の岩屋城 (宗茂の父、高橋紹運が死守) など、宗茂の戦跡を回っていましたが、未踏の地は磐城棚倉と碧蹄館 (韓国です) でした。

筑後柳河城主であった宗茂は関ヶ原の戦いで西軍に属し、降伏後は浪人となりますが、徳川幕府により1603年に磐城棚倉藩1万石の大名として取り立てられます。

そして1620年には旧領である筑後柳河に復帰し、立花家は明治維新まで柳河領主として続きます。関ヶ原の敗者が大名として取り立てられ、旧領に復帰した例は宗茂以外にはありません。

棚倉城址は宗茂以降のものですが、ゆったりとした棚倉の町を歩いたことを思い出します。

磐城棚倉駅から水戸までは水郡線に乗りました。

水郡線は水戸と郡山を結ぶローカル線で、沿線の袋田の滝が有名ですが、棚倉以外には下車したことがありません。改めて全区間の走破し、沿線の車窓を楽しみたいと思っています。

最後に本日のハカセの写真館。

いずれも水郡線です。

袋田~常陸大子_1981年6月

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山方宿駅_1981年6月.

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玉川村~野上原_1998年3月

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