青函連絡船

青函トンネル開通は昭和63年3月です。

25年前ですので、鮮明に覚えています。

この年は瀬戸大橋が完成し、本州から四国まで直通列車が走った年でもありました。日本の4つの島が鉄道でつながったのです。

青函連絡船の廃止が近づくとともに、連絡船がやたら混んできたことを思い出します。名残惜しいお客さんの一部が飛行機からシフトしてきたのでしょう。

廃止前に絶対に乗りたかったのが連絡船の寝台室でした。

青森・函館間、3時間50分の行程ですが、夜間航行があるので、寝台室が設置されていました。

廃止の半月ぐらい前、かなり寒い日でしたが、函館から青森に向かう羊蹄丸(2代目)で、念願の寝台室にもぐり込むことができました。

吹雪の函館桟橋が、だんだんと遠くなるシーンは、今でも思い出します。

  写真は、函館の八幡坂から見た青函連絡船「摩周丸」(保存)です。 昨日、写しました。

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コメント

  1. ARCadia より:

    その通り!

    何がって、連絡船廃止前の盛り上がり。

    アッシが北海道に通った50年代前半は青函最盛期で、列車が青森に着くや、乗客は船目指して駆け出したもんですが、見る見る寂れて、どの便もガラガラなんて時期が長く続きました。

    それが、短期でしたが最終期の熱気は凄かったです。それを見た覚えがあるのですが何月に行ったんだろう…

    アッ 青函の寝台には乗り損ないました。

  2. 芸のない旅芸人 より:

    ARCadiaさん

    そろそろコメントが欲しいな!と思い、船のネタにしました。早速、反応いただき、ありがとうございます。

    1988年の1月から3月までの青函連絡船の盛り上がりは大変なものでしたよ。昭和40年代を彷彿させるような勢いでした。

    そう言えば、函館で会った平塚のハカセは、大沼SL撮影紀行で、こんがりと日焼けしておられました。

  3. ARCadia より:

    ワハハ、また釣られたか。

    函館は渡道のたびに必ず通りましたが(ヒコーキは使わないので)、飽きもせずよく行ったのは函館山(夜景)と大沼公園。

    特に函館山はバスで行くのがいいですなあ。つづら折りを登るので光の塊りが揺れながら右に見えたり、左に見えたりするのが。

    特に冬場なんか、光は煌びやかだけど、極寒に耐えかねて早々に下山して、すぐさま寿司屋で熱燗、なんてね。それから札幌行か連絡船の夜行、てのがパターン。

    北海道・・・とんとご無沙汰だなあ。