先週、普通列車に連結された3段の二等寝台車(今はB寝台車) のことを書いたのですが、特急や急行となると、かなりの数の3段ニ等寝台車にお世話になりました。
一番多かったのは東京と浜田を結ぶ急行「出雲」。
初めてブルートレインの寝台車に乗ったのは、広島から東京に向かう特急「富士」でした。興奮で眠ることなく、3段のニ等寝台車の上段の小窓から、月あかりの照し出す鉄路を見続けていました。
当時の九州特急ブルートレインは大人気で、その中でも看板列車「あさかぜ」の寝台車はまったく取れず、西鹿児島からの日豊本線周りの「富士」だと余裕がありました。
その後、ニ等寝台はB寝台と名前を変え、3段は2段に改善しました。
いまはもう3段の寝台車はありませんが、10年前に最後とも言える3段B寝台車に平塚のハカセとARCさんとともに乗車しました。
大阪と新潟を結ぶ電車急行「きたぐに」です。
かつて、急行「きたぐに」は大阪と青森を日本海に沿って22時間かけて走行していました。
津軽までの「きたぐに」は、10年前の時点では越後までとなっていましたが、夜行寝台の旅情を十分堪能したのです。
北国の朝。
直江津駅。
3段寝台の上段でしたが、天井の低さには閉口しました。
学生時代から座高が伸びたわけでもなく、贅沢になったということでしょうか。
📷 写真は平塚のハカセとARCさんです。
コメント
天井の低さには閉口、との写真ですが、アッシが着目したのは天井の低さではなく、この方がネクタイ姿であるという点です。
この方、何と、出発地では仕事を終えて駆けつけ、到着地でまた仕事をするという離れ業?をやろうとしてました。
ネクタイで寝台車とは単なるアホです。