先週の乗り鉄紀行では日豊本線ののどかな風景と、ハカセの写真コレクションからSLの峠越えを振り返りましたが、今週も日豊本線です。
小倉から大分、宮崎周りで鹿児島までの日豊本線には、東京からの寝台特急列車「富士」が乗り入れていました。
私が1968年に初めて「富士」に乗ったとき (といっても広島 → 東京でしたが)、「富士」の全区間の所要時間は24時間以上でした。
→ 下り 「富士」列車番号7
東京発18:30 西鹿児島着 18:57
→ 上り 「富士」列車番号8
西鹿児島発 9:15 東京着 9:50
博多、熊本経由の「はやぶさ」と比べると2時間半も長いため、東京からの乗客は大分、宮崎でほとんど下車してしまい、全区間、乗った人はハカセのような鉄道ファンだけだったのではないでしょうか。
→ 下り 「はやぶさ」列車番号 5
東京発18:00 西鹿児島着15:53
→ 上り 「はやぶさ」列車番号 6
西鹿児島発12:05 東京着10:10
当時、「はやぶさ」や東京と博多を結ぶ「あさかぜ」は福岡出張者に人気が高く、寝台券をゲットするのは難しかったように思います。
自ずと広島以西の山陽道や北九州への移動の際は、「富士」を使うことが多かったですね。1974年に両親が小倉に赴任するときも東京駅15番線ホーム発の「富士」でした。
それから40年が経過、東京と九州の飛行機による移動が当たり前になり、ブルートレインがガラガラ状態となっても、「暇人だな」と言われながら、当時の終着駅となった大分まで何度か乗車しました。
山陽路で夜明けを迎え、九州に入ると「富士」の車内には強い光が差し込んできます。
光が暴き出す「富士」の車内は老婆のようで、かつてのスター像を思い起こすことができぬさまに愕然としたのでした。
さて、ハカセの写真館から、「富士」の雄姿を再現します。
「富士」西屋敷~宇佐_2009年2月
「富士」杵築~大神_2009年2月
「富士」都農~川南_1997年10月
「富士」宮崎~南宮崎_1997年10月
コメント
水羊羹にコメントしたけど・・・送信をポチしなかったか。
盛んに旅に出て「見聞を広めて」いた若い頃、九州も度々訪れましたが、富士、はやぶさ、さくらなどの東京発の花形列車にはまるで縁がありませんでした。
切符の入手難もありますが、真面目な勤め人には発時刻が早過ぎるのがネックで初めから諦めていました。
その代わり名古屋乗継(金星)とか岡山乗継(あかつき、彗星等)は多用したもんです。
それも業務終了が不確定なので駅に駆けつけてから空席を当たるような案配で。
ある時、岡山乗継の長崎行きを当たったら満席といわれたので即座に大分行きをと返したところ、窓口氏はギョッとして「いいんですか」と何度も念押ししてくれました。(この話はどこかで書いたかも)
コッチは単に見聞の経路を逆回りにしただけなんですけどね。
不真面目な勤め人もさすがに18時台の九州特急には乗れなかったですわ。小倉の実家(当時はね)に帰省するときは、名古屋接続の金星か、新大阪から明星かあかつきを利用しました。電車寝台の金星はいつも楽に取れました。
帰りは小倉から富士というのが多かったですね。
水羊羹のコメント、再送お願いします。