本年1月20日のブログ「思い出の米原」で、近江鉄道のことについて触れました。
今日の乗り鉄紀行は近江鉄道です。
新幹線で大阪方面に向かうとき、右の車窓で関ヶ原古戦場、伊吹山と眺めていると、程なく平野のような近江盆地に入ります。
そして米原駅を通過するときには左手に目を移し、近江鉄道の駅を確認しつつ、次のチェックポイントは同鉄道の鳥居本駅とその周りの鳥居本宿。中山道と北国街道の分岐点となる宿場町です。
鳥居本を過ぎると近江鉄道の軌道は左手から忍び寄るように接近し、新幹線をアンダーパスして、右手の山のトンネルへと真っ直ぐに入っていきます。
その山は佐和山城。言わずと知れた石田三成の居城です。
その次は、右手遠方に水面がキラキラ光る琵琶湖と彦根城。
この忙しくエキサイティングな数分間は、ワタシの新幹線の旅でもっとも好きな時間です。
かつて、
大阪出張の際に、時間の余裕があるときには、しばしば米原駅で下車し、近江鉄道に乗り換えました。
鳥居本を散策し、近江鉄道で佐和山城の隧道を抜けて彦根まで乗車し、そこから在来線で京都や大阪を目指したものでした。
かつて司馬遼太郎さんが、「街道をゆく」の連載を近江から始めたというのは、ワタシでも分かるような気がします。
近江鉄道の旅、続編は来週に。
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最後にハカセの写真館。
いずれも鳥居本〜彦根の区間、1992年12月の作品です。
コメント
関ヶ原辺りから先(西)の車窓風景は、ワタシも東海道本線時代から好みにしてます。
それより前、ヤヤ単調な景色だったのが、伊吹山が見えると、オオ遥々やって来たなァと思ったもんです。
米原を過ぎると琵琶湖を探しますが、案外見えなくて。
比良山系が見えるとなおイイのですが滅多に見えません。
歴史には疎いので左側にはまるで関心ナシ、したがって近江鉄道にも乗ったことありません。(ヤヤ心残り)
ARCさん、
米原からは立ち食いそばの出汁も関西風になるし。
JR西日本の電車がホームにいるのを見ると、それまでの趣きとの違いを感じますね。
中学校の修学旅行は「ひので」号でしたが、米原で途中下車、名神高速のハイウェイを体験しろという趣旨でした。もちろん東名高速はない時代です。米原から名神高速に入り、栗東で琵琶湖大橋を渡り、比叡山の根本中堂まで。
京都に入るまでの前哨戦の長い修学旅行でした。
また脱線して恐縮ですが、
名神高速ができた時は大騒ぎでした。
何しろ、顔見知りのニイちゃんが、クラウンで120キロ出してきた、なんちゃって鼻高々になるくらいで。
ミロのビーナスの京都展示の時がワタシの初名神だったと記憶します。
貸切バスで行ったのですが、その帰り、最奥シートの人がおシリが熱い熱いと。
豊中ICまでのわずかな距離なのに、、、よほど非力なバスだったのかなあ。
米原から名神に乗ったら、車がほとんど走っていなくて、関西は車が少ない、などと言っているクラスメイトがおりました。
京都の宿舎は四条烏丸の交差点近く、市電が走っているのをよく覚えています。京阪電車も鴨川べりを走っており、なんだかんだで電車の写真ばかり撮っていました。
帰りの「ひので」は夜行で楽しかったなぁ。ほとんど寝なかった。