ル ミストラルのこと

本日の日本経済新聞 文化欄の林真理子さんのエッセイ「冬のパリ」を大変興味深く読みました。

林さんは「冬のパリは初めてだったかもしれない」と書いています。

ワタシが初めてパリに行ったのは1979年、実に真冬でした。

週末の休みに、フランクフルト支店にいた同期の○島くんから、コンコルド広場で落ち合おうと連絡を受け、ロンドンから朝一番のフライトでパリに入ったのです。寒かったため、ほとんどの時間をルーブル美術館で費やしました。

ロンドン勤務時代に仕事も含め一番数多く訪れた場所はパリでしたが、当時、ヨーロッパ屈指の豪華列車と言われたTEE「ル ミストラル」に乗車したのも冬でした。TEEというのはすべて一等車で昼行の欧州地域内 国際列車のことをいいます。

ル ミストラルの食堂車の話は、2012年10月23日のブログ「なつかしの特急ひばりの食堂車」で、さらりと書いています。

その ル ミストラルですが、高校時代以来の友人ハカセがデジタル加工してくれたワタシの撮った写真の中にありました。

パリ リヨン駅13番ホームでニースに向けて発車を待つル ミストラル。(1981年1月26日)

その名前の由来は「ローヌ渓谷を吹き抜ける季節風」です。

当時、フランスの新幹線ともいえるTGVは試運転中で、高速列車といえばTEE、その代表がこの列車でした。

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ル ミストラルは、パリ(リヨン駅)発 13:15ですが、同道してくれたOさん夫妻 (パリ支店勤務) とともに13時に車内に入ると、すでに食前酒を飲みはじめている乗客がいました。2時間のフルコースです。

鉛色の空と霧氷の車窓を眺めながらの豪華なランチが終了するころに、最初の停車駅 ディジョン (ワタシの当時のメモによれば15:36着) に。

ワタシの目的地であるリヨンまではそこから1時間半余り、17:07にリヨン ぺラッシュ駅に滑り込みました。

リヨンから各駅停車に乗り換えてヴィエンヌ駅まで乗車。「ラ ピラミッド」で夕食をとったのですが、当日のメニューにマダム ポワンのサインをいただいたことを鮮明に覚えています。

29歳のワタシにとって身の丈に合わない、とびっきり贅沢な旅だったのですが、乗り鉄として得難い経験ができたと思っています。

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コメント

  1. 森脇ゆき より:

    29歳の多胡さんのワクワクが伝わってきて、私もわくわくいたしました。素敵な投稿ですね!

    週末の乗り鉄紀行、いつも楽しませていただいております。(私は乗り鉄ではありませんが、歴史が面白いです)

    いつも思うのですが、記録が正確なことに驚きます。

    乗り鉄さん、すごい!

  2. ARC(短縮しました) より:

    思わず10月23日版を見に行ってしまいました。

    今回もタイトルは列車名だけど、中身は食に寄ってるのでつい出遅れコメントになってしもて。

    で、ムリヤリ「鉄」に戻すと、ル ミストラルなんてまるで縁がありませんでしたが、名前だけは幼少?の頃から染み付いてました。

    何しろ、ミストラル、セッテベロなどアチラの優等列車はのりもの絵本の常連でしたから。(電車特急「こだま」出現以前の話)

    やはり絵本情報だったのでしょうが、CC7000型(7100?)の驚異的スピード記録331km/Hも消えることなく覚えてます。

    (どうも331キロの記録は実際はBB9000型らしいが)

    後年、その時の動画を見ましたが破綻寸前のような走り方にビックリ、鉄界にもスピード狂や記録魔がいるんですねえ。

    記録といえば、旅芸人の記録力を称揚するご意見ですが、大いに異論があります。何しろ写真さえ残ってないのですからねえ。

    確かに、記憶力は抜群でした(マ、若いころは…)。地理と歴史で鍛えた賜物です。