地銀再編が金融包摂の処方箋?

「地域銀行については早期の業務改善のためにマーケットシェアが高くなっても特例的に経営統合が認められるようにする」

本日の日本経済新聞 (トップ記事の見出しは 地銀再編10年で集中支援” とセンセーショナル) に掲載されている、未来投資会議の2019年の実行計画案の要旨の中にある文言です。

地域銀行が競争で疲弊したら地域を支えること(金融包摂であるはずですねができなくなるので、競争を封じ込むとの考えのようですが、うーん?

ワタシが考える金融包摂の枠組みは以下の通りです。

~トップ地銀→ 

地域の大手中堅企業 (メガが関与しているケースも少なくない) を責任を持ってしっかり支える。

~その他の地銀→ 

地元の中小零細企業へのリレバン徹底。コスト削減に向け、非上場、協同組織金融機関へのダウンサイズも。自前主義からの脱皮、効率化は合併によるのではなく聖域なきシェアードサービス。

~協同組織金融機関→ コミュニティの中小零細企業や個人事業主へのリレバン徹底。

〜いずれも経営者が、まともであることが前提。

ただし、決済などのインフラや簡単なトランザクションバンキングはAI FinTechを駆使した異業種やネット系にどんどん侵食されるものと予測されます。

いかがでしょうか?

 

 


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コメント

  1. 八代恭一郎 より:

    すべての地域金融機関は多かれ少なかれ金融排除をしていて、金融包摂を目指してがんばっているものであるという仮定が結論に影響しています。ところが現実は「金融排除/包摂を選択できる地域金融機関(A)」と「金融包摂をやるしかない地域金融機関(B)」が混在していると考えています。

    そしてAとBが優先劣後構造のように明確に分離するようになってきています。地元をもたないメガバンクの世界では、取引先の経営危機に際して、高い貸出シェアを持ってきたことのレンダーズライアビリティ(貸し手責任)が機能していて、再生支援などのときにはメイン寄せといった支援策がとられますが、地域金融ではいくら貸出シェアが高かったとしても、取引先の経営危機を濃密なリレーションからAが知ったときには、Bに当該取引先の貸出シェア(厳密には未保全貸出シェア)が移動することがほとんどで、分離が加速していきました。

    つまりAはレンダーズイライアビリティの影響を気にすることなく、金融排除/包摂を配合できる自由が与えられているのです。

    AかBかは開示情報でも判明します。地元とする地域の貸出シェアと不良債権比率を比べてみてください。Bは地域の貸出シェアが低く、不良債権比率は高めとなっています。

    厳密には地元とする地域の不良債権額シェアを見れば明らかで、Bは上位に名を連ねるようになっています。地域銀行の中にもBはあり、協同組織に金融機関にもAはあります。

    未来投資会議の新聞報道の通り、地域の貸出シェアが高まるような再編が許容されるとすれば、地域金融機関には望んでBになりたいところなどめったになく、Aとの再編を希望するはずです。そうするとBがなくなった地域の金融仲介はどうなるか・・・。Aばかりであれば、レンダーズライアビリティも弱い中、あえて金融包摂を志向するところは、これまでお目にかかったことはなく、Aしかなくなった世界を想像するとぞっとします。

    再編を論じる際はAとBを明確に区分した上で是々非々を論じていただきたいものです。

  2. 八代恭一郎 より:

    申し忘れました。

    地域金融ではメガバンク間では常識で、取引先もメインバンクに期待しているメインバンク制が機能していないということです。

    Bは地域シェアも下位であることも多いことから、私はメイン寄せならぬ「下位寄せ」と呼んでいます。

  3. 東北の銀行員 より:

    例えば、新規創業先や格付に馴染まない先(格付上の要注意・破綻懸念を含む)は、「B」の市場ですよね。

    その市場は未だにブルーオーシャンなのですが、同時に引当金の積増しが伴い短期的には赤字や収益悪化による株価下落リスクを覚悟すべき市場でもあります。

    株主の顔色を気にしなければならない上場地銀にとって「今のところ」、高いハードルであることに間違いないですね。

    余談ですが先日、新規創業者の20年後を検証する機会がありました(笑)。

  4. 新田信行 より:

    当たり前のことですが、再編すればするほど金融排除は進みます。金融排除は、特色ある金融機関が足りないから起こるのです。特色ある金融機関の数を増やさないで、金融包摂を実現するのは、難しいと思います。

  5. 橋本卓典 より:

    「地域の元気」を取り戻すには地域金融という目の付け所は、まず良いのですが、向かっている方向が全然違うんじゃないの、と。残念さと、危うさしか感じない。。。

    「集約」には必ず「合理化」(統合効果)が付きまといます。この見えないバイアスから経営は逃れがたい。単年度会計という括りでは、利益どころか費用ばかりが発生する事業承継に、本当に人手と資源を割けるでしょうか?ヒューマンアセット、人づくり、組織文化に資源は割けるでしょうか?

    八代さんのおっしゃる「A」とは、面倒くさいこと、目先の利益がでないことはやらないという行動パターンでしょう。いうなれば地域にいるのに、地域に対して精神的排除ができてしまうのです。

    「集約」が、単年度会計では決して計測できない資産に何をもたらすのか。よく考えた方がいいと思います。我々は、人類という生物であることからは逃れられないのです。「あなた集約したよね」と社会から計測を感じると、計測への最適化行動を取りたがるのです。「無駄」と「面倒くさい」ことの切り捨てです。