兼業が金融機関においても話題になっています。
実を言うと、
16年前に地方銀行頭取の“基本問題調査会”でプレゼンテーション (確か、地方銀行の今後の展開がテーマだったと記憶しています) を行った際に、“コンサルティング業務”とともに、“行員の兼業”を提言しました。
人材が集中している地方銀行はお金だけでなく、ヒトの面からも地域企業の価値向上に協力してはどうかという視点でした。
「こいつは突飛なことを言うな。非現実だ。」と多くの頭取たちの顔に書いてあったことを思い出します。
ただ、この時のご縁でその後、ワタシ自身の仕事につながった銀行もありました。
リレバンの議論では、取引先の「社長の片腕になるつもりで」、「経営企画部長になるつもりで」、「営業部長になるつもりで」と言われることがありますが、これがよりリアルな世界になるのです。
コメント
副業・兼業の本質(計測できない世界)は、「本業とは違う仕事」ではありません。本業では得られないワクワク感、自分を高めてくれる、地域の役に立つ、老後もやってみたいという関心などが、副業・兼業の本質です。
すなわち「共感」です。「最近、副業・兼業が流行しているねー」などと、誰でも分かる「計測できる世界の思考」で終えてはなりません。それでは多くの銀行経営陣と同じです(笑)
「共感」で仕事を選ぶことが市民権を獲得し始めている時代の変化だとみるべきです。
ただ、変革運動体の我々はさらに洞察を深めたい。それは、果たして今の金融に「共感」はあるのか?という根本的な問いです。
銀行などの金融機関から事業会社へ副業(してやる)・兼業(してやる)と読めるような記事が出ていますが、逆ではないでしょうか?銀行こそが「副業・兼業してやる」の対象と将来、なっているかもしれません。
そこで、銀行は将来のZ世代から副業・兼業の対象として選ばれる「共感」を備えているでしょうか?銀行の副業・兼業解禁とか言っている時点で、時代錯誤かもしれないという目線も持ち合わせるのが良いと思います。
よく「捨てられない」とか「選ばれる」とかスローガンが先行してますが、一体、「誰から」、「どうして選ばれる」のでしょうか。そのために「何」を変えようとしているのでしょうか。「共感」という文脈で語れるでしょうか。
事程、左様に「共感」の世界は難しいのです。
橋本さんの言動はいよいよ哲学者の風合を増してきました。「金融に共感はあるのか?」という問いには「金融業と取材報道業はいずれも共感業である」と応じたいと思います。
私たちの仕事は他人の事業投資内容を理解しその価値に共感して融資する点がミソでありましょう。それは取材先で新たな価値に気づき(すなわち共感し)それを世間に知らせる取材活動と同じです。
いずれも情報の切断を乗り越えて情報の非対称性に取り組み成果をあげた時点で自然に湧き上がる共感というかワクワク感が事業の原点だからです。
この観点から銀行員の副業を論じるなら、他者への理解力を高めるために、多様な人生経験を副業を通じて得るということが、共感力の形成という意味で価値があるのかもしれません。
ただ、この多胡さんのブログを読んでるような銀行員は、すでに十分な共感力を備えているので、副業などしないで本業にまい進すればいいのだと私は考えまする。
副業・兼業がなぜ騒がれるようになったのでしょうか。
金融機関に勤める者の副業・兼業というのは金融機関の立ち位置からして難しいと感じています。
独立自営の方にとっては、食っていく稼ぎをするためには選択せざるを得ないものです。
金融機関のトップが、副業・兼業を解禁するというのは、人件費という観点からだけではないのでしょうか。後で大きな問題が発生するはずです。
当組は既に副業を受け入れていますよ🎵嘱託契約や業務委託契約など、やり方はいろいろあります。当組で一緒に働きたいと言ってくれる人がたくさんいる限り、当組は持続可能な気がします。