ある地域金融機関の話です。
規模は業界平均を下回る小ぶりですが、面倒見の良いことで地元事業者から評価されています。
この金融機関の課題は、他の地域金融機関と同様、組織的継続的リレバンの浸透と思われますが、トップの自己評価は「また道半ば」だと推察されます。
ただ、ワタシはこの金融機関において、組織的継続的なリレバン運動が現場の隅々において定着するまで、そう時間がかかるとは思っていません。
なんといっても、トップが健全な危機感を持っていること、
そして
支店長登用の条件が、(究極のリレバンである)企業再生支援に関わる認定資格であること
それが大きな理由です。
リレバンの思想を心底理解している支店長の頭数を揃えることが、組織的継続的リレバンの最短距離なのですが、その支店長たち (もちろん資格をとればできるというものではありませんが) が再生支援をできるのは大きな強みです。
こういう組織では、お酒を飲んだりゴルフをするだけの人は偉くなりませんね、笑。
コメント
これは入念に地域をまわると「まさにその通り」と同感する話です。支店長次第といっても過言ではありません。トップが立派なことを掲げてもまったく浸透していないことが、よくあります。サボタージュもありますし、ね、それも含めて「トップの責任」と切り捨てることもできるのですが、地域の為を思えば、支店長に特化した金融行政や連携があっても良いかもしれませんね。
こういう支店長が、レイジーな組織の中で生き残っていること自体が珍しいと思います。おそらく、当該金融機関が地域とともに歩んできた誇るべき歴史があり、(その歴史が)どこかで語り継がれる仕組みが残っているのだと思います。
私も様々な金融機関のお話を直接お聞きする機会が多いのですが、「歴史を軽視、あるいは捨て去ろうとする金融機関(中には誇るべき屋号を捨てた金融機関もあります)」と「歴史に誇りを持って語り継いでいる金融機関」に大別されます。
多くの金融機関では、顧客企業に向き合い伴走支援を志す者や、企業の実態(事業性)を理解することに時間をかけ真っ当な融資を志す者は、業推(業績推進)を邪魔する奴として排斥排除されていたのが実態と思います。
こうした支店長方に集まっていただき、生き残ってきた背景、あるいは今活躍で来ている理由等を、お聞きしてみたいと思います。きっと共通するものがあるように思います。
少し前まで、当社も経営再建・事業支援ができる支店長等を揃え、経営理念に明記されている金融機能と情報を活用し豊かな地域社会の創造をビジネスモデルに取組んでいました。10数年に亘る取組を通じ地域顧客の笑顔や感謝の気持ちに触れ、また、社内若手人材の成長にも繋がり、現場の仕事と経営理念がマッチしていることに喜びとやりがいを感じていました。
ところが、少し前に経営層が変わり、マネジメントスタイルは一変しました。方向性を示さず丸投げ、足元の計数・実績に執着のボリューム偏重、余資運用依存や担保・保証・不動産融資重視、事業性評価は否定、プロダクトアウト商品の販売姿勢強化等と反リレバンの方針から、職員のマインドは一気に下がり、預貸率、利回りは低下の一途、融資先数は連年減少に加え、ヒューマンアセットや心理的安全性の否定も見受けられます。
まさに多胡先生の述べている「地域金融機関が転落していく図式」にピッタリと当て嵌まっています。(ステージは2と3の間くらい)
「ローマは一日にしてならず、されど滅亡は一日にしてなる」と歴史は物語っています。
トップ層が偉くなることが目的の人達ばかりで、健全な危機感を忘れると、長年の積重ねが一気に崩壊してしまうことを目の当たりにしています。
多胡独り言プログと地域金融変革運動体で集う皆様から頂いたパワーで、上杉鷹山逸話にある火鉢の火種が消えないうちに、リレバン体制再構築の火を移していきます。