大隅線

日曜日は乗り鉄紀行です。

2005年から2017年まで、正月明けの1月第2週の週末は鹿児島というのが定番でした。

太陽の光が強く、温暖な気候の中、県内を津々浦々動き回りました。

鹿児島は1971年から数えられないぐらい訪問しているのですが、2度目の1975年の正月はとりわけ印象深いものでした。

そのころ小倉に住んでいた両親とともに元旦は日南市の油津に宿泊。翌日、油津から日南線で志布志、志布志から大隅線へとローカル線を乗り継いで鹿屋まで乗車。鹿屋駅から佐多岬の突端までタクシーを飛ばしたのです。

佐多岬の民宿で出してくれる伊勢海老が目的でした。

当時、大隅線は日豊本線の国分までの延伸後わずか3年であり、古江線という名称から大隅半島を巡る路線にふさわしい名称に変更したばかりでした。

ところが、大隅の首邑である鹿屋から県都 鹿児島への鉄路は、錦江湾を突っ切るフェリーに勝つことができず、1987年にあっけなく廃止になりました。延伸から廃止までわずか15年。

2004年から鹿児島で仕事をするようになり、何度か大隅半島を訪れたのですが、路線バスや車での移動の際には、大隅線の足跡を車窓から追いかけたことを思い出します。

最後に、

ハカセの写真館は大隅線のSL列車です。1973年2月22日。

鹿屋駅
鹿屋~大隅川西
大隅川西~永野田

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コメント

  1. ARC より:

    SLの逆機の姿は何か物足りなく見えるものですが、ハカセの1枚目の画からはむしろ迫力を感じます。
    鹿屋駅ですか、、、こんなだったか、、、懐かしい。
    ワタシも佐多岬を訪ねたことがありました。何分ハードスケジュールで、岬から走って帰ってバスに乗ったのですが(大汗)、鹿屋で降りたところで血の気が引いたのは、バスに上着を忘れたしもた・・・(切符も資金もそこに・・・)
    荷物をその場に放り投げ、センターライン側から(運転手に見えるようにね)、遮二無二バスを追いかけました。
    何とか赤信号で追いついて回収しましたが、追いつけなかったら、予定の列車に乗れずその後の計画はズタズタ。
    以降の人生が変わったかも。
    (タラレバ言ってもショモナイが)

    ※と書きながらまた既視感が・・・この話、書いたことあるような