コロナで真贋が問われる

本日の日経朝刊の記事、

「新型コロナ 銀行の『目利き力』問う ~ 検査マニュアル廃止後 業績回復を独自判断」

はポイントを突いています。

本日、金融行政に関するある会議があるのですが、

「最近は伴走支援という言葉が踊っているが、今回の対応で地域金融機関の真贋が問われる。ここで逃げた金融機関は“捨てられる銀行”だ。」

という主張を行うつもりです。

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コメント

  1. 増田寿幸 より:

    危機時にこそ真贋が試されるとのこと、おっしゃる通りでしょう。さらに言うなら、そろそろ「伴走」では危機が乗り越えられない場合も想定され、場合によっては自らバトンを握る覚悟も求められるのではと愚考するところでありまする。

  2. 橋本卓典 より:

    まさに。本気を計測することはできませんが、本気を感じることはできます。なぜか。呑気には手助けは現れませんが、本気には巻き込まれた人の手助けが現れます。なぜか。

  3. 東北の銀行員 より:

    財務諸表による企業の「過去」の分析から、「今」まさに生きて活動している企業とその「未来」の姿をしっかり捉えることが非常に重要であると思われますが、生き物としての企業活動を果たしてどのように計測して「目利き」するのか。

    金融検査マニュアル世代に課せられた難問かも知れません。