長嘯子

日曜日、乗り鉄紀行です。

8月2日のブログ「夢に出る別府湾」の続編です。

日曜は乗り鉄紀行です。 稲村ヶ崎から七里ヶ浜への電車が右にカーブを切り、キラキラした相模湾が窓ガラス全面に現れると狭い車両の中に歓声...

コレクションの中に、かつて訪れた日出城址の看板の写真がありました。日出城とくれば城下ガレイですね。

1975年のゴールデンウイーク、当時小倉に住んでいた両親に、城址に近接する的山荘(てきざんそう)という庭の美しい料理旅館に連れて行ってもらったのが城下ガレイとの最初の出会いでした。

実は日出藩主は木下氏、高台院(おねさん)の実家です。

初代・木下延俊は、おねさんの甥にあたるのですが、弟は小早川秀秋、兄は木下勝俊といいます。

小早川秀秋は関ヶ原の裏切りで超有名ですが、木下勝俊も司馬遼太郎さんの「関ヶ原」に若狭少将・木下長嘯子(ちょうしょうし)として登場します。このとき若狭小浜城主です。

長嘯子は関ヶ原の前哨戦である伏見城の攻防戦の際に、東軍の伏見城守備隊のメンバーだったものの城将鳥居元忠以下の徳川勢から離脱し、戦後に除封となりました。

晩年、長嘯子は京に隠棲し、歌人として江戸時代初期の文化人たちとの交流を持ってからの方が異才を放っています。

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