大河ドラマ「麒麟がくる」が本日、いよいよ再開です。
主人公の明智光秀が越前朝倉家の本拠地・一乗谷にいる時点なので、今日の乗り鉄紀行は一乗谷館の側を走る越美北線にしましょう。
この線は越前(福井)と美濃(美濃太田)を結ぶ目的で敷設されましたが、全通できず、北線は福井駅の隣り越前花堂から勝原まで。1972年に九頭竜湖駅まで延伸しましたが、そこで打ち止め。
越美南線の方は2年前にブログで紹介しています。
越美南線の旅は城下町・郡上八幡が目的でしたが、越美北線の“乗り鉄紀行”も歴史探訪でした。
1977年夏の某日、福井から乗車し一乗谷で下車、朝倉氏遺跡を散策したあと、再び越美北線のディーゼルカーに乗り、越前大野を訪れました。
越前大野城は1575年に柴田勝家付きの与力だった金森長近の築城で、江戸時代には親藩・譜代の大名の居城となります。
いまは播但線の竹田城とともに、大野城(こちらの方は復興天守あり)も「天空の城」として知名度アップしているそうですが、私が訪れた当時は人影もまばらでした。
大野城まで足を伸ばした理由は、結城秀康の三男・松平直政が10年ほど城主をしていたからです。
松平出羽守直政は大野城から信州松本城主に移封され、その後、出雲隠岐の国守・松江城主となります。松本→松江と国宝天守閣をはしごしていますね。
我が故郷の殿様ということで、このブログにも何度も登場しますが、「目黒のさんま」の殿様という説もあるようです。
また口達者で、「油口」と陰口をたたかれていたとも。家康の孫ですが、ユニークな三男坊という感じです。
コメント
上の越美南線の記事に北濃駅の写真を提供してたんですねえ。
わずか2年前のことなのにそんなことはスッカリ忘れておりました。(記憶の儚さを再認識)
北濃駅があるなら九頭竜湖駅は?と思って探したら見つかりました。
ところが、、、南線の方はどこそこで途中下車したなど道中の様子も切れ切れに覚えているのですが、北線は道中の記憶が全くナシ、九頭竜湖駅でも何をしていたのやら。そのまま引き返したのか、国鉄バスにでも乗ったのか。
旅芸人殿くらい予備知識があれば北線の沿線も楽しめたものを、コチラは一乗谷も大野城もなく空白。
やはり「思い出の縁」になるものは持ってないとねえ。(しかし記憶がこれほど簡単に蒸発するとは、、、歳とって初めてわかる)