大糸線を行く

先週に続いて、乗り鉄紀行は大糸線です。

大糸線の南線は、松本から豊科、穂高、有明(いずれも安曇野市)、大町、白馬を経て南小谷(みなみおたり)までの区間で、新宿から特急あずさが一部乗り入れていますが、観光資源が揃っています。

大王わさび農場、碌山美術館、仁科三湖などなど、学生時代に訪れた場所が北アルプスを背景に点在しています。

仁科三湖のひとつ木崎湖のほとりには、かつて森城があり、神社となった跡地を訪れたことを思い出します。40年以上前のことです。

当時、新田次郎さんの小説「武田信玄」が、歴史読本で連載中であり、そこで登場する場所を四季折々探訪していました。

森城は鎌倉時代より仁科一族が支配していましたが、武田信玄に滅ぼされた後は、信玄が五男の盛信を送り込み、仁科家の名跡を継がせたのです。

森城は武田の対上杉の重要拠点だったのですが、天正10年の織田信長の甲信攻め対応で、森城の兵力は南信濃に転属します。武田家滅亡の際に一番の激しい戦いとなった高遠城の攻防戦の主役は仁科盛信率いる森城からの部隊でした。

ハカセの写真館、大糸線南線も傑作揃いです。

安曇沓掛~信濃常盤_1990年3月9日
白馬~信濃森上_1990年3月9日
信濃森上~白馬大池_1992年4月26日

👉👉👉仁科盛信の話はこちらにも。

 信州・高遠の話、「その3」です。 長野県人が集まると必ず歌うのが「信濃の国」という歌らしい。  海外の長野県人会の集まりでも最後の「しめ」...

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. ARC より:

    木崎湖には野外活動で毎年のように訪れますが森城なんてのがあったとはチイとも知りませんでした。
    城跡の辺りも通りましたが、確かに樹々がこんもりとした一帯がありますね。
    歴史を知っていれば想起されることもいろいろでしょうが、対極にあるワタシなど、自然に親しんでただ遊びまわるだけです。

    さて写真館。
    90年の20系の列車は関西から糸魚川回りで入ったスキー列車ですね。
    大糸線のブルートレインなんて貴重な記録です。
    それにしても、
    雪山と鉄道の取り合わせは、天候の読みや撮影場所の選定など事前の研究はハンパなものではないでしょう。
    特に、先週の北線の画、あの構図を得るのにどれほどロケハンがあったか、と想像します。
    (列車の本数も少ないのによくやるわい)