新横浜

いまや全国市町村で第2位の人口を擁する横浜市ですが、東海道新幹線が開通した1964年の段階では、六大都市のなかで、東京、大阪、名古屋に次いで第4位でした。

新横浜駅は周辺に空き地が目立ち、「ひかり」は通過し、各駅停車「こだま」の数ある停車駅の一つに過ぎませんでした。

国鉄・横浜線の菊名と小机の間に新横浜駅が新設されたのですが、当時の横浜線は単線運転だったように記憶しています。もちろん市営地下鉄は影も形もありません。

一部の「ひかり」が新横浜に停車することになったのは1976年です。上り下り、わずか一本ずつでした。

友人の横浜市民が、新横浜から「ひかり」に乗って大阪での結婚式に出席したと、嬉しそうにしていたのが思い出されます。

その後、新横浜停車の「ひかり」はどんどん増えて、いまや全列車が停車します。

横浜に住んでいたころは、毎週のように新横浜駅で「のぞみ」に乗り降りしていました。

1985年に「ひかり」停車が増えたのを記念して特別の乗車券が発行されており、記念乗車券コレクションの中にありましたのでアップします。 

シュウマイの崎陽軒がスポンサー?しているのが面白い。

昨日の旅芸人ブログ「夢の超特急」の続きです。 1964年10月に開通した当初の東海道新幹線の乗客には、パンフレットが配ら...

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コメント

  1. ARC より:

    その頃(85年頃)、小机の近くに住んでました。
    せっかく停車してくれても新幹線を利用する機会はまずありませんでしたが。
    ア、崎陽軒のシウマイの方は結構お世話になりました。

    それにしても、運賃が現在とさほど変わらないのには複雑な思いがします。