6月は二度ほど大勢の人たちの前で話をしました。
13日の近畿財務局での水野ゼミ、20日の諏訪シンポジウムです。
両方で強調したのは、
「新型コロナウイルスの襲来が、金融検査マニュアル廃止後で本当に良かった」
ということです。
ポイントを絞り込むと、
マニュアルの呪縛があっては、業況の芳しくない中小企業のところにポストコロナに向けた事業変革のための資金がスムーズかつ弾力的に届かず、再チャレンジの芽を潰してしまう可能性が高いからです。
ゼロゼロ資金などのコロナ対応保証つき融資が手厚く準備されているものの、これらですべてが賄えるわけではありませんから。
さて、
1990年代にバブル崩壊による不良債権が金融機関の屋台骨を揺るがしたことを受け、マニュアルが導入されたのが二十数年前です。
このマニュアルは金融機関の健全性に主眼が置かれていて、不良債権処理には威力を発揮したものの、借り手である事業者が苦境に陥り、格付けが低下すると、画一的に再チャレンジのための資金が出なくなるという重大な問題を内包していました。
金融機関が抱える膨大な不良債権の撲滅を最優先する時代の産物はなぜか約20年続き、2019年12月に至り廃止となりました。
ワタシはマニュアル廃止とその後の対応に関する金融庁における研究会、審議会に参加しましたが、議論の席上、以下を常に念頭に置いていました。
「厳しい経営環境に追い込まれている企業であっても、事業の中に光るものがあり、企業経営者が誠実で、やる気に満ちあふれていれば、再チャレンジ資金は速やかに実行されるべきである」
森俊彦さんが以前から強く主張しておられるポイントで、その思いはワタシも共有しています。
この趣旨は融資ディスカッションペーパー(融資DP)にしっかりと書き込まれています。
金融機関や中小企業支援組織で経営改善・事業再生に関わる人たちが集まってネットワークづくりをスタートさせようと、島根県信用保証協会の小野拳さんと話をし始めたのも、融資DPが最終ステージに差し掛かったときでした。
それが2020年1月18日の松江市での企業再生人シンポジウムとして結実しました。
奇しくも翌2月に新型コロナウイルスの本格的襲来。
なんとか間に合いました。
しかるに、
コロナ禍という未曾有の局面において、マニュアル廃止となっていても、従来からの融資姿勢を変えようとしない地域金融機関が多数派であり、監査法人もこの流れについてこれていません。
金融検査マニュアル時代の復活を、といった声もどこかから聞こえてきます。先祖返り?、冗談じゃない。
金融検査マニュアルが廃止となった意味を、胸に手を当てて考える必要がありそうです。
コメント
融資姿勢を変えようとしない金融機関が多くあるようには感じています。検査マニュアルに代表される資産査定は、「過去と現在の精査」という意味では一定の役割を果たすものだと思います。
極限すれは、検査マニュアルに則った格付では、破綻懸念や要管理、といった企業様が、復活を期してやろうとすることや、過去の失敗は広義には一過性なもとであり、本業が元々持っている収益力と、外部環境の組合せに、まだまだ見所がある。
といった、事業の成長性や継続可能性に対して、大きく担保に依らないで、資金提供ができるのか?がカギになるのだと思います。
ここは、残念ながら過去の決算書を分析する事や、抽象的な強みや弱みを分類整理するだけで、その肯定的可能性は見抜けません。
同時に、融資をもう込まれる金融機関も、アバウトな決意表明だけで、融資を実行するのは、やはり無理があるのだと思います。
知的経営資産に代表される、経営資産の整理をベースとして、結果として事業計画を描く事になるのですが、その実現可能性をどの程、実夢的に現実感覚が持てる範囲で、測るすべを開発するか?
ということになるのだと私は思います。勿論万能の計測器とは言い難いですが、DCFに代表される将来リスクの減算方法などもありますし
定性的は業種別のポイントも、全ての業種を事細かくマニュアルにすることはできなくても、事業性を見極める一定のコツや知見は存在します。
定性的な業種別のポイントは、事業計画の組み上げ過程や要素の、実現性を判断することにも役にたつのだと思います。
ただ、この手のエリアは、凄く大雑把に「外部連携」とか「ネットワーク連携」という言葉で全て整理されており
「そうは言っても、現実的な融資判断実務にどうやって紐付けていくのか?」と頭を抱えてしまう方も多くいるのではないかと思います。
企業支援の分野も、多胡さんの長年の提唱があり
スローガンやエール交換から、やっと「現実どうする?」「実務の知見にどう展開する?」という分野の問題提起ができるようになったと感じ、嬉しく思っております。
長々とすいませんでした(笑)
金融検査マニュアルは、バブル期に大量にあった不良債権をオフバランスさせることに意味があったのだと思います。
基本的にどんな業績が悪い事業者も、金融機関が資金を出し続けていれば、破綻することは無いから。本来はバブル崩壊で業績が行き詰まって、それでも不況期を凌いで景気が回復すれば、また業況が回復することを見込んで塩漬けにしていた債権を、オフバランスさせて銀行のバランスシートを改善させる荒療治だったのが、銀行自体がその行動様式に安住してしまった、ということですよね。
これから、本来銀行が持っていたノウハウである、その事業会社の着目すべき点を見極めて、その伸び代に資金を出すという機能が本当に期待されているのではないでしょうか?ある意味で、預金をお預かりしている身の金融機関は、その資金を経済が健全に発展させるためのfiduciary dutyを負っていると言えるわけで。
多胡さんが口酸っぱく批判されていたレイジーバンクは、この際傍観していてもらった方が好都合なのではないかと。まともな金融機関が残高を伸ばして収益を伸ばしてもらった方が、経済や市場にとってはプラスですから。
2019年5月1日の「金融検査マニュアル平成とともに去りぬ」で金検マニュアルの副作用について、「形式主義」「過去の延長線上での思考」「個別論でしか考えない」という金融に係る人間の体質について端的に示されました。
そして令和4年となった今、この体質はますます強くなっているように感じています。
それだけ金融検査マニュアルは日本人の「どうやって対応していくか」という思考・努力という人間性を上手く利用した形になったと思われます。それだけ強権的な行政指導だったということです。
ついつい私もマニュアルなくなったんだから、もっと積極的に顧客サイドでの仕事をすればよいのにと思い言っても来ましたが、本来的に考えると云う方向が違うのかと思いたちました。
やはりこれだけ効果の強かったものを、「ハイ、今日から辞めます。後は皆さんでよく考えてやってください」。これで日本人が動けるかと言えば非常に難しい。そしてその代わりに、事業性評価、事業承継、企業再生だとか個別の課題をちらつかせる。ここでまた「どうやって対応してゆこうか」と現状皆さん考えているわけです。大変ですよ。
行政もまた「形式」「過去実績」「個別論」思考であり、現在の地域・産業・社会崩壊の流れに対し筋の通った政策を何もしてこなかったと言わざるを得ない。その反省もなく、ただ今までの地域金融機関の対応が地域事業者にサイドでの仕事を 何もしてこなかったからと、言いたげな行政には如何ともしがたい思いが湧きます。
ただこうした状況にありますが、地域金融機関の事業活動の源泉は地域にあり、そしてその事業が行員・職員の生きがい・将来生活の基盤となれるよう、今経営の舵を握る人はその点を十分考え事業方向を考え、示すべきと思う次第です。