松本清張さんの長編「砂の器」では、出雲地方の方言が東北弁に似ているのが、警察の捜査の撹乱要因となりますが、
被害者と犯人らしき人間との会話で、「カメダヶ(実際は亀嵩、カメダケ)という地名が出た」との蒲田での証言を受け、刑事たちが乗り込んだのは羽後亀田。
秋田県の亀田町、いまは合併して由利本荘市の一部となっています。
江戸時代、由利本荘市内には、亀田、本荘、矢島と3つの藩がありました。
小藩とはいえ、同一市内に3つの藩とは、あまり聞いたことがありません。
https://www.city.yurihonjo.lg.jp/1001503/1002089/1006987.html
久しぶりに、
1974年の「砂の器」の映画を見ると、冒頭のシーンは丹波哲郎さんと森田健作さんの刑事2人が犯人の痕跡を探し回る亀田町の風景です。
ふたりの刑事は羽後亀田駅から各駅停車、羽後本荘駅で夜行急行「鳥海」に乗り換えます。食堂車でビールを飲んでいるところで、犯人(加藤剛さん)と遭遇するシーンがあります。
ヨンサントオ(1968年10月)の時刻表を見ると、夜行急行「鳥海」(3号です)は食堂車を連結していませんが、カタイことは言いません(笑)。
さて、亀田藩ですが、
関ヶ原戦(1600年)で徳川方にならず、磐城平(いわき市)12万石を没収された岩城氏(桓武平氏の流れの名門)が、最上家改易で出羽で大きな空白地が出た(1623年)あとに、2万石で入封して誕生しました。
戦国時代末期、磐城の岩城氏は水戸の佐竹氏の親類筋なのですが、ともに関ヶ原戦で敗軍となったものの、紆余曲折を乗り越えて、出羽の地で再び隣国となり、ともに明治維新を迎えるに至ります。
ハカセの写真館には羽後亀田駅付近を走行するJR特急列車があったのでアップします。