本日の日経電子版「仕組み債が映すひずみ 銀証連携、規制緩和50年の蹉跌」の、ある箇所に注目しました。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB094BQ0Z00C23A6000000/
~「債券神話」崩れる:
仕組み債はハイリスクではある一方、ハイリターンを狙える商品でもある。(中略) 利益が出ていたら構造問題が明らかになる可能性は低かった。ここに落とし穴があった。仕組み債はデリバティブを組み込んでいたものの、「債券」と分類していた。債券は国債や社債と同じで、値動きが激しい株式と違う印象を与える。「安全性」が高い金融商品として流通していたことが購入のハードルを下げた可能性がある。(記事より)
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ワタシは1990年代のある時期にプロフェッショナルを相手に、”オーダーメイド”の仕組債の組立・販売を行っていました。
詳しくはこちらをご覧いただきたいのですが↓、
仕組債というのは、紛れもないオプション取引です。
店頭(OTC)オプションを債券の中にビルトインしたものであり、記事にもある通り「債券に分類される」べきものではありません。
通貨、金利、株価など金融商品のオプションはその黎明期には完全なプロの世界。門外漢からはキワモノ扱いされていました。腹立たしいことに、OTCオプションのことを「ノミ行為」だという人たちまでいました。
それが債券の衣をつけて、預金や国債(満期まで保有すれば元本は全額戻ってくる)しか知らない個人顧客のところに登場したのですから、たまったものじゃありません。
さて、ワタシは1974年に銀行員になりました。1979年からおよそ20年間(コンサルティング業界に転じるまで)、一貫してロンドンと東京で証券業務や投資銀行業務(もどき)を担当していたので、銀行の証券業務への参入には、ことさらに強い思い入れがありました。
だからこそ、改めて本記事にある下記の部分を、肝に銘じ読み返しています。
~「公社債市場のあり方について」。今からちょうど50年前の1973年、証券取引審議会(今の金融審議会)が出した答申が銀行の証券参入を公式に議論した最初だ。(中略) 当時から論点だったのは投資家保護だ。銀行は証券業務を規定する証券取引法の対象ではなく、対象に含めるかどうかでもめた。結局、2007年に証取法を抜本的に改正し、金融商品取引法に改組されるまで、今のような実効的な規制・監督の形は整わなかった。当時、規制を強化した柱の1つが、今回、処分を受ける根拠となった「適合性の原則」だ。適合性の原則は顧客の知識や経験、財産の状況、契約の目的に沿って販売しているかをみるルール。千葉銀はハイリスク商品を投資初心者に販売するような、普通なら考えられない販売行為に手を染めたのは投資家保護に甘さがあったのは否めない。(記事より)