京都所司代

今秋も岡山訪問の機会がありそうでウキウキしています。

昨年11月は板橋モデルの中嶋さん、知的資産経営の森下さんのお二人の重鎮に御出馬いただきましたが、今年は寺子屋で新境地を切り開いておられる「N御大」がメインとのことでとても楽しみです。

「N御大」は先日の岡山ダイアログにも登壇、山田方谷先生の足跡を追って、備中高梁まで足を伸ばしたと聞いています。羨ましい。

山田方谷を登用した備中松山藩主は、幕末に老中となった板倉勝静ですが、

年末年始の休み、サブスク契約したU-NEXTの配信で1990年のNHK大河ドラマ「翔ぶが如く」を見ています。幕末から西南戦争までの話です。...

この板倉家が世に出たのは板倉勝重のときからです。

板倉家は家康の直参家臣ではなく、十八松平のひとつ深溝松平家の家臣。勝重は跡取りでないため僧籍に入っていたところ、当主が高天神で戦死したため還俗。その後、家康に重用され、最後は京都所司代となります。

徳川幕府が朝廷とのやりとりで苦慮した江戸初期の京都所司代は、初代の奥平信昌(家康の娘婿、もと長篠城主)、2代目・3代目の板倉勝重・重宗父子ですが、

板倉勝重を調べてみると、理と情、硬軟の使い分けが上手で、大岡越前の話に通じるものがあります。

その後、京都所司代が歴史の表舞台に出ることは少なかったようですが、将軍家茂、慶喜の時代に最後の京都所司代が、京都守護職のサブの立ち位置で登場します。

松平定敬。

桑名藩主で松平容保の実弟、戊辰戦争を歴戦し、大名でありながら箱館五稜郭まで行きます。板倉勝静と一緒ですね。

てなことを思い浮かべながら、涼しい部屋で暑さを凌いでいます。