まつかぜ、いそかぜ、そして

ヨンサントウ(昭和36年10月のダイヤ改正)でデビューした山陰本線の特急「まつかぜ」は京都~博多を日本海沿いに13時間半で走りましたが、最盛期は12両編成(京都~米子)の人気列車でした。

「サンロクトウ」昭和36年10月の国鉄のダイヤ改正です。まだ小学4年生でしたが、我がまちに特急列車がやってきた、この日のことは鮮明に覚えてい...

学生時代に初めて萩の玄関口、東萩駅に降り立ったときも、米子駅からの特急まつかぜでした。

山陽新幹線が西進し、岡山や小郡(いまの新山口)と山陰を結ぶ支線が充実するなかで、山陰本線を全通して博多に向かう「まつかぜ」の活躍の場は減っていきます。

そして、1985年3月のダイヤ改正で、まつかぜの米子以西は運転打ち切り。

まつかぜのあとを受けて、米子以西の博多までの区間に登場したのが、特急「いそかぜ」です。

グリーン車もなく、食堂車の連結もない3両編成。

ワタシはいそかぜに乗車する機会はありませんでしたが、米子駅でその姿を見て、寂しくなったなと思った記憶があります。

いそかぜは当初の「米子~博多」が徐々に区間短縮となり、2005年に廃止になったときには「益田~小倉」を細々と走っていました。

いまや山陰本線の益田以西は特急列車はおろか、わずかな車両数の普通列車のみ。

そして東萩駅はJR職員のいない駅に。

半世紀前に東萩駅に食堂車を連結した特急列車から降り立った、

と話すと目を丸くされます。

ハカセの写真集から、いそかぜの勇姿。日本海とともに。

湯玉〜小串、2001/7/22

宇田郷〜須佐、2001/7/22

地元贔屓との批判を覚悟で書きますが、山陰本線の島根県西部の海岸線の車窓は相当にハイレベルだと思います。 学生時代に萩を何度か訪れまし...
山口県長門市の長門市駅がかつて正明市(しょうみょういち)という駅名だったことは、5年前の旅芸人ブログで紹介しました。 学...