七本槍

「私のところは平野権平の領地なんですよ」

昨日お目にかかった、奈良県中央部にある田原本(たわらもと)の方から言われ、賤ヶ岳七本槍を思い出しました。

権平こと平野長泰は七本槍の中では目立たない存在ですが、加藤清正、福島正則、加藤嘉明らの家系が改易となるなかで、平野家は田原本藩主として明治維新を迎えました。

さて、今日の乗り鉄紀行は北陸本線の第2回です。

平野権平が活躍した賤ヶ岳合戦の場となったのは、北陸本線だと木之本、余呉の辺りです。

40年以上も前ですが、職場の同僚○本君と、湖北の仏像を拝観したあと、木之本駅からタクシーとリフトを乗り継いで賤ヶ岳の頂上まで行ったことがあります。琵琶湖と余呉湖の絶景が思い出されます。

https://www.shizugatakelift.jp

旅芸人ブログでも何度か取り上げていますが、北陸本線の長浜~敦賀は車窓に釘付けになる区間です。

日曜日、乗り鉄紀行です。 本年3月にほぼ10年ぶりに福井に行った際には、身体への負担を考えて、小松空港までの空路を選択しました。 小松空...
4月1日は北陸本線(米原⇔直江津)の全区間が開通して、ちょうど100年になります。 北陸本線の主要駅にはパンフレット「北陸本線100年の歩...

ワタシの記憶にはないのですが(父によれば急行日本海で何度か通っているらしい)、1957年まで北陸本線の列車は、木之本~敦賀はかつての北国街道沿い(中之郷、柳ヶ瀬など)を走っていました。山越えの難所で柴田勝家の進軍路であり、敗走路でもあります。

塩津経由の新線に北陸本線の座を奪われローカル線「柳ヶ瀬線」として余生を送り、1964年に廃止になっています。

ワタシが賤ヶ岳合戦場を探訪した1970年代には、木之本駅で柳ヶ瀬線の代替となった国鉄バスを何度か見ているのですが、旅程を変えてでも乗っておけば良かったと後悔しています。

ハカセの写真館は北陸本線、敦賀~新疋田を走る特急「雷鳥」と「日本海」です。

1983年10月22日

1998年4月30日

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