日曜日、乗り鉄紀行。
今週から国内編に戻ります。
2月に気温が下がった時に全国ニュースで、北海道の陸別の名前が何度も登場しました。
陸別は、幕末の清貧の医師 関寛斎の入植地として、このブログでも取り上げています。(2018年1月6日)
たしかに、寒さでは池北線の陸別が筆頭に上がりますが、雪の量となると深名線が最初に頭に浮かびます。
深名線は函館本線の深川と宗谷本線の名寄とを結ぶ120キロ余りのローカル線です。
ワタシが初めて足を踏み入れた1970年代には全区間を走破する列車はなく、途中の朱鞠内 (しゅまりない) で分割運転となっていました。
深名線沿線の有名観光地は朱鞠内湖という人工湖で、沿線で大きな集落といえば幌加内。全国で有数のシェアを持つ幌加内そばの産地です。
全国有数の赤字路線であるにもかかわらず、豪雪地であり、代替交通手段がないことから、1980年代後半の北海道ローカル線の廃止ラッシュのときは何とか生き延びましたが、1995年に廃止。
ところで、
ワタシにとって深名線は忘れがたく、10年余り前に、HR社のS社長とともに旧 深名線の沿線バスの旅を敢行しました。
この時は稚内から旧 天北線の沿線をバスでたどり、浜頓別経由で音威子府まで。
音威子府から名寄までは宗谷本線の列車、名寄から朱鞠内までは路線バスがないためタクシーを利用。夕刻に朱鞠内に着きました。
前から目をつけていた、手打ち蕎麦の宿「朱鞠内湖そばの花」に宿泊。
食事後にオーナーご夫妻から、近隣に金融機関はおろか商店も何もない中で、通販と郵便局が重要なインフラであるとのお話をうかがい、大いに納得したことを思い出します。
翌朝は朱鞠内駅の跡地から路線バスに乗り、深名線の遺構を車窓越しに追いかけながら、幌加内経由で深川まで行きました。
稚内から深川へのバスの旅(一部除く)、とても贅沢な時間でした。乗り鉄というよりは乗りバスですが、オススメです。
さて、
冒頭の写真はハカセの作品です。
深名線のSL列車です。(深名線天塩弥生発車_1973年3月12日)
コメント
深名線というと思わず乗り出してしまいます。
寒さでも深名線は名門ですぞ。
ずいぶん前の話ですが、幌加内の母子里で最低気温を記録した、なんて騒がれたことがありました。
母子里の名が出てきたのでオオッと思ったもんです。
深名線のJRバスを追ったTV番組は再放送含め2回見てしまいました。元幌加内駅で休憩などしながら快走してました。
「幌加内産そば粉」なんてのも時々目にします。
深名線のバス旅、う〜ん行きたくなってきました。