豊臣秀吉の時代に、五大老、五奉行とともに設けられたといわれる三中老。
生駒親正(讃岐高松)、堀尾吉晴(遠州浜松)、中村一氏(駿府)の3人ですが、三家はいずれも関ヶ原戦いで東軍に属し、堀尾家は出雲松江、中村家は伯耆米子と共に山陰の地で加増となったものの、江戸時代初期にお取り潰しとなります。
生駒家は4代目高俊のときにお家騒動が起こり、改易は免れたものの、高松(17万石)から出羽国矢島(やしま)に捨て扶持1万石で移されます。
三中老のうち、明治維新まで残ったのは生駒家(矢島陣屋)だけでした。
この矢島と本荘(由利本荘市)の23キロを結んでいたのが国鉄時代の矢島線。現在の由利高原鉄道です。
旅芸人にとって未踏の路線ですが、車窓からの鳥海山は格別のようです。
最近は体調も良いので、矢島、本荘、六郷と出羽の小城下町の旅を考えてみようと思っています。
ハカセの写真は、羽後本荘駅での由利高原鉄道の気動車、ARCさんの写真は国鉄矢島線時代の羽後矢島駅です。
★『中村一氏』についてはこちら↓
★『堀尾吉晴』についてはこちら↓