尾張町に中国語が飛び交う

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 昨日のブログは最後、クイズのようになってしまいました。正解を発表します。

写真をご覧ください

尾張町の交差点」というのは、ここです。

 タクシーの運転手さんから話を聞いたとき、正直なところ銀座4丁目が「尾張町」というのは腑に落ちませんでした。

 紀尾井町が紀州藩、尾張藩、井伊藩(近江彦根)の屋敷があったところ、などから推測するに、ここに尾張藩の屋敷(大名は数か所の屋敷を持っていた)があったのか?と思いましたが、納得がいきません。そもそも、日本橋から銀座にかけては武家の町ではなく、商人町ですからね。

 東京都中央区のホームページを見て、疑問は氷解しました。

 そもそも、銀座4丁目界隈は埋立地。埋め立ての担当が尾張藩だったことから、この地を尾張町というようになったみたいですね。近くには加賀町(市ヶ谷にもありますが)、出雲町もあったそうです。

 今日の尾張町あたりは歩行者天国。残暑厳しい折、人出は多くなかったのですが、その中で中国語が飛び交っていました。


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コメント

  1. ARCadia より:

    市ヶ谷の加賀町には縁があります、ハイ。

    東京の地理と歴史に疎いワタクシですから「尾張町の交差点」なんて見当もつきませんでしたが、「都電の路線図」なーんてあるもんだから、そんな名称の電停でもあるのかと勘繰っちゃいましたよ。

    銀座四丁目(の路線)の都電が廃止になったときはちょっとした騒ぎでしたね。その頃は時代遅れの交通機関の宿命、くらいにしか思ってませんでしたけどね。

    昨今の、トラム見直しの気運、興味津々。

  2. 芸のない旅芸人 より:

    ARCadiaさん

    市ヶ谷加賀町と言えば不動産価格と株価が連動するといわれる某著名なメーカーがありますね。。。。

  3. ARCadia より:

    アハハ  あの加賀町近辺にはここ数年ご無沙汰です。

    株価も全く存じません・・・