相鉄線の電車が横須賀線経由で新宿駅まで乗り入れるとのニュースを見て、27歳のころ半年間ですが、二俣川に住んでいたころの記憶がよみがえりました。海外転勤のビザ待ちで、銀行員人生で一番暇な半年でした。
当時、両親が新宿区河田町に住んでおり、二俣川〜新宿はしばしば往来したのですが、横浜、品川での乗り換えの小旅行でした。
さて、
新宿駅への乗り入れとなると、ディーゼル急行を思い出します。
50数年前、千葉から先、木更津・館山方面の房総西線 (現在の内房線) は電化されておらず、SL列車が走っていました。
房総方面への急行列車はディーゼルカーで、両国駅が起点/ 終点だったのですが、一部の列車はカナリヤ色の総武線の三鷹行き電車に交じって秋葉原経由で新宿駅まで乗り入れていたのです。
写真は館山から新宿駅に到着した急行「うち房2号」。
ワタシが写したものですが、背景に小田急デパートがあることから1967年ごろだと思います。
いまや都心から館山へはアクアライン経由での高速バスがメインラインのようです。
改めまして、
このたびの台風 15 号災害により被害を受けられました皆様に謹んでお見舞い申し あげます。
コメント
新宿駅は通学経路でしたが内房線キハは覚えがありません。(まあ印象に残ってないだけでしょうが)
’69年の電化で行先が「千倉」となった165系はよく見ました。千倉ってどこなんだと思いましたよ。
館山には伯父がいたので、毎年夏の楽しみは館山行でした(S.30年代初めから)。
往復は、もちろん、東海汽船の橘丸! 当時は海路がメインだったような。
欠航か何かで内房線(房総西線?)で帰ったことがありましたが(鉄道で行けることも知らなんだ)、時間がかかって大層疲れた覚えがあります。
(うち房名はヨンサントオからのようなので撮影時期は’68.10–’69.7の間か)