昨日、書いた通り、東京から米原経由の金沢行の夜行急行「能登」は、平塚のハカセと私が乗車した翌々日、昭和43年9月末で廃止になりました。
昭和39年、東海道新幹線の登場により、東京から「敦賀⇔金沢」への所要時間が激減し、夜行列車のゾーンから外れたことが大きいと思います。
昨今、夜行列車の廃止の時には大変なフィーバーとなるのですが、私たちが乗った9月28日の能登号は混んでいたという印象はありません。50年前の微かな記憶ですが。
さて、7年後に急行「能登」は復活します。今度は上野から上越線周り、長岡経由で金沢を結ぶ夜行の客車急行としてです。
ところが、昭和57年に上越新幹線が開通すると、能登号は上越線から信越本線の長野経由に変更されます。
信越本線経由の時代、平成5年に急行「能登」の車両は、客車からボンネット型電車に変わりました。寝台車なしの夜行列車ですが、姿形は東海道新幹線以前の最速列車「こだま」です。
平成9年になり、長野新幹線が登場し、長野が完全日帰り圏に入ると、夜行急行「能登」は再び上越線周りの長岡経由に戻りました。
そして平成22年に廃止。
東海道新幹線により上越線に追いやられ、上越新幹線により信越本線に追いやられ、長野新幹線によって上越線の出戻りと、急行「能登」は新幹線に翻弄された列車といえますね。
私は上野発になってから一度も「能登」に乗ることはありませんでした。
夜行で金沢に行く機会は何度かありましたが、寝台特急「北陸」、ブルートレイン、に乗車していたのです。
一度ぐらいは、腰痛を覚悟の上で、ボンネット型の夜行急行に乗っておきたかったですね。
😁😁😁
さて、週末恒例のハカセの写真集です。
平成12年7月の早朝、富山駅に到着した急行「能登」です。
東京 大阪の間を6時間50分で結んだ往年の特急「こだま」を彷彿させます。
ここからは、おまけです。
蛸島駅、恋路駅は廃線になった能登線(穴水 蛸島間)にあった駅です。輪島駅も廃止になっています。