国宝・重要文化財の城をハシゴした大名

   米子空港から妖怪の出そうな暗闇道を走って、いま、松江に着きました。

   日曜日で夜遅い到着ということで、いつも行く、お馴染みの蕎麦屋は開いておらず、残念。

   出雲蕎麦はソバの実ごと挽くため、黒く、香りがあります。コシが強いため、喉ごしでツルツルというわけにはいかず、モグモグと噛みしめる感じで食べます。

   なぜ、蕎麦が松江の名物になったのでしょうか?

   諸説あるようですが、出雲蕎麦のルーツは信州のようです。17世紀の中頃に松江城主になったのは松平直政ですが、彼の前任地は信州松本。直政が前任地から職人ともども蕎麦を持ち込んだという解釈には無理がありません。

   日本全国で8つの城の天守閣が重要文化財となっておりますが、松江城はその一つ。さらに上のレベルの国宝天守閣を持つ(4つあります)のが信州松本城。偶然ですが、松平直政の居城の天守閣はいずれも現存しているわけです。(松本の前任地である越前大野の城は復興のコンクリートですが)

   こういう大名はあまりいません。とことん調べたわけではありませんが、おそらく他にいないのではないかと思います。

   松平直政という人は、徳川家康の孫です。父親の秀康が二代将軍秀忠の兄でありながら、豊臣秀吉の養子になった経緯があり、徳川家の跡取りとなれなかったこと、さらには母親の身分が低かったことから、子供の頃は結構苦労をしています。

   大坂夏の陣の最終日、真田幸村勢を破ったのは秀康の息子である松平忠直(菊地寛の「忠直卿行状記」の主人公、松平直政の兄)率いる越前勢の力攻めでした。松平直政も越前勢として参陣し活躍。敵将真田幸村から賞賛されたと言われています。そのようなことが松江城天守閣の展示物に書かれていました。

   直政の墓は松江市の西、月照寺にあります。

   月照寺には小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)ゆかりの亀の石像もあります。

   私は小学校5年から中学校1年まで、この寺の近所に住んでいました。子供ながらに荘厳で風情があると思ったものです。


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コメント

  1. ARCadia より:

    秋田だと思ったら、次は松江だって?

    まあこれは毎月だから仕方ないとして、明日からジャカルタ、バンコク!? まるで逃亡者ですねぇ。

    どうりで、我々となかなか遊んでくれないわけだ・・・

  2. 芸のない旅芸人 より:

    ARCadiaさん

    逃亡者は明日から海外に高跳びいたします。