リトマス紙

今年もあと4日。

昨日は年末の挨拶も兼ね、金融庁に行き、話をしてきました。

これから合併しようとしている某地域金融機関のこと、従業員の早期退職の急増でメルトダウンしている某地域金融機関のことなど。

いずれも経営者になってはならない人間がトップをやっていること、その取り巻きがイエスマンどもであることが、惨憺たる状況を招いたものと断言しました。

コーポレートガバナンス規定の中にトップの解任条項を入れることは必須です。

ワタシが関与している某地域銀行でも (ワタシのようなうるさい人間に仕事をさせてくれるので、必要はないかもしれませんが) 、トップ解任についての記載を入れようとの議論がなされました。

地域金融機関でトップ解任条項が絶対に必要と思われるところとは、ワタシはご縁がありません。嫌われているようです、笑。

多胡はリトマス紙か?

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コメント

  1. 森脇ゆき より:

    「コーポレートガバナンスコードでトップの解任規定を入れることは必須です」

    私のような、組織末端の人間だったものは、このような規定が無いことも、またはあることも存じませんでした。

    昨日の日経新聞一面記事「経営計画、リスク明記、有価証券報告書」も同じ感想であり、既存のルールに従うことが目的になってしまうと、大切なものが無かったこに気付きにくいのですね。

    無知であることの反省点がたくさんあります。

    リトマス紙

    というお題で、何の話かしらと思いましたら、

    多胡さまがリトマス紙というオチで!

    思わず笑ってしまいました。

    リトマス氏やリトマス神、はいかがでしょう。

  2. 寺岡雅顕 より:

    困った経営者の元にも、粛清を恐れず、戦う職員がいます。微力ながら、彼らを応援できればうれしいと思います。

  3. 寺岡弟分 より:

    当社も御多分に漏れず、短期志向で目先の利益にこだわり、レッドオーシャンに低金利融資で突入したり、経営理念と組織風土が乖離し若手職員の退職が目立つなどヒューマンアセットマネジメントが崩壊しつつあります。

    このプログのおかげで、社内で志しを一にする同士数人で地域金融のあり方についてどうあるべきかの共通認識する動きにあります。また、このプログによる人の繋がりの効果で、増田会長、新田理事長、橋本記者などに教えて頂いたことを必ず当社にも導入していく所存です。当然のことながら寺岡兄様にもたくさん助けて頂きました。

    多胡先生、一年間ありがとうございます。当社も土俵際まで追い込まれていますが、踏ん張りますので来年も宜しくお願い致します。

  4. 橋本卓典 より:

    既にコーポレートガバナンス・コードでは、最高経営責任者(CEO)の選解任について、ことし6月に盛り込まれて改訂されました。あとは上場企業がどう判断するか、です。

    他方、問題は取締役だけでなく、執行にもあるのです。むしろ情報の非対称性で圧倒的に優位にある執行の方が問題です。監督される立場だけであり、基本的に責任が問われないからです。

    取締役(特に社外)に真実を気づかれないように巧妙に立ち回っているケースも多々あります。厄介なのは形式要件を満たしていることです。

    形式(それと過去、確率も)は極めて厄介な代物で、人を「やった気」にさせ、議論も思考も止めてしまう伝染病です。形式、過去、確率は揺るがない事実だから、だれもが安心(過信)してしまうのです。しかし、こんなものは実は、議論の本質ではない。

    実際は、形式の裏側で社内政治や自分たちの給与水準のために組織は行動し、大局的には企業価値を平気で毀損する行動を取ります。いつしか掲げる理念と暴走する行動のつじつまが合わなくなり、組織は壊れます。

    故に、未来に臨む組織ならば、議論は未来からの逆算であって然るべきです。

    「10年後、20年後、なぜこの組織は滅んだのか?どうして見放されたのか?」

    ここから議論を始めてみてはいかがでしょう。そして、滅んだ理由を1つずつ改めるのが「学習する組織」です。向き合うべきは「過去の成功体験」ではなく、「滅んだ」という最悪の未来です。

    自然と、これまでの「当たり前」は瓦解するでしょう。エスカレーター式に執行役員→取締役という階段を上るという「当たり前」も、また、おかしいのです。