今日の乗り鉄紀行は、東海道本線の豊橋と中央本線の辰野を結ぶ飯田線です。
中央高速が完成してからは、高速バスに主役の座を奪われましたが、かつては新宿から直通の急行列車が飯田(一部は天竜峡)まで乗り入れていました。
学生時代に、初めて飯田方面に足を踏み入れたときは、まず茅野駅で下車し、杖突峠を越えて、高遠に入り、そこから伊那、駒ヶ根、飯田、天竜峡と南下して行きました。
帰路は飯田から急行「こまがね」で新宿まで乗車したことを思い出します。
さて、社会人になってからも、城郭探訪で全国を巡っていました。
ある週末、関ヶ原前夜に池田輝政の居城でもあった吉田城🏯(豊橋市)を見たあと、豊橋駅から飯田線で長篠城まで、古ぼけた戦前生まれの電車でガタガタと揺られていきました。
2万5千分の1の地図を片手に、三河東郷駅の手前で連吾川を確認。長篠合戦図屏風では武田騎馬軍団と織田徳川鉄砲隊がこの川を挟んで対峙しています。
鳥居駅を出て、長篠城駅の直前、寒狭川(豊川)と宇連川とが合流する地点が長篠城。車窓から要害であることがよく分かります。合戦屏風のイメージ通りです。
この時の古ぼけた電車は戦前生まれの52系。魚雷のような流線形で「流電」と言われていました。
ワタシが乗車した数年後、1983年に全廃となっています。
最後にハカセの写真館より、52系電車です。
上から、「江島〜東上、52系流電、1978/7/8」「東上〜野田城、1978/7/8」「向井市場〜水窪、1978/7/8」「水窪駅、1978/7/8」「豊橋駅、1978/7/8」