十数年前、地方銀行数行のお取引先と中国遼寧省の事業者との商談会で何度か大連を訪れる機会がありました。
最後に訪れたときは旅順まで足を伸ばし、203高地を散策しました。
旅順要塞を堅固なものとし、実質的にロシア守備隊の指揮を執って日本軍を悩ましたのはコンドラチェンコ少将です。
203高地には少将が被弾して戦死した場所に日本軍が建立した日本語の石碑がありました。
少将の奮戦ぶりは、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」にも出てきますが、
ロシアのウクライナ侵略のニュースに耳を凝らすなか、「ウクライナ・コサック」であるコンドラチェンコ少将を思い出しました。