1590年、徳川家康が秀吉により駿遠三甲信から関八洲に移封されたとき、家臣団は関東全域に配置されたのですが、徳川四天王のうち二人が上野(こうずけ、群馬県)に封ぜられました。箕輪(12万石)には井伊直政、館林(10万石)には榊原康政です。
20代の頃に箕輪城址、館林の榊原康政の墓を訪れましたが、上野国であと一つ、歴史探訪したのが小幡です。
1590年に小幡領内(3万石)に入封したのは奥平信昌。家康と築山殿の長女の婿で長篠城に籠城し、武田勝頼と対峙した武将です。
江戸時代になると、小幡陣屋には織田信雄の子孫が領主として封じられます。
小幡の城下町は上信越道の南に位置するのですが、ワタシが訪問したころは高速道路はなく、高崎から下仁田に向かう上信電鉄の上州福島駅から結構歩きました。
さて、
7日の日経電子版に「巡って楽しむ群馬・甘楽富岡へ 信金や電鉄が一緒にPR」という記事があります。
〜群馬県南西部の甘楽富岡地域の周遊観光を促そうと、自治体や金融機関、企業が策を練っている。同地域周辺を走る上信電鉄(群馬県高崎市)の駅ごとにPRポスターを作ったり、道の駅や観光施設のスタンプラリーでドライブを促したり。宿泊施設が少なく、観光客が長期滞在しにくいことを逆手に周遊で楽しんでもらい、新型コロナウイルス禍で疲弊した地域を活気づける。しののめ信用金庫(群馬県富岡市)は地域のデザイナーやコピーライターと協力し、上信電鉄の各駅にそれぞれの駅周辺をPRするポスターを作製した。沿線の高崎や甘楽、富岡、下仁田の特長がわかるような風景や飲食店などの写真に、思わず旅をしたくなるキャッチコピーを添えている。ー(中略)ー同事業は同金庫の地方創生支援事業「上信電鉄沿線まちの編集社」の一環。富岡市出身の職員が一駅ずつポイントを探したという。横山慶一理事長は「地域に今あるものを発見して生かす視点が必要。これからも地域資源を多くの人に伝えていきたい」と話す。ー(中略)ー県甘楽富岡振興局の担当者は「富岡製糸場だけにこだわらないこの地域の魅力を見せていかなければいけない」と話している。(記事より抜粋)
信用金庫と鉄道のコラボ、興味津々です。
この地方創生支援事業の担い手である、しののめ信用金庫は愛本位主義を掲げて、組織的継続的なリレーションシップバンキングを推進しています。
横山理事長のお話は何度かうかがい、その愛本位経営は以前から注目しており、旅芸人ブログでも取り上げています。
最後にひとつ。
この甘楽富岡周遊プロジェクトに、城下町小幡を組み込んでいただけたら嬉しいです。