昨日のブログ~「手段」の仕事で舞い上がるのは若気の至り?~
に、畏友のK司さんからコメントをいただきました。
「一時期、地域金融機関でも『なんちゃってシンジケートローン』が横行していたことがありましたねぇ。これって協調融資で良いのと違うの?って思うような融資も、メイン行とサブ行2行ぐらいでシンジケートローンの形にして手数料を取るみたいな。手数料分は金利を下げているので、オールインコストではお客様にとっては負担はないのだけど、金融機関側は半期半期の手数料目標を達成するために結構ドライブが掛かって、、、」
まったく同感です。
今日はちょっと歴史の話から、
シンジケートローンは1970年代後半からユーロダラー市場(もはや死語)において勃興しました。ユーロドルの調達力のある国際的に名のある銀行が、国を越えたシンジケート団を組み、融資を行うもので、主な融資先は発展途上のソブリン(国もしくはそれに準じる機関)か、国際的な企業などに限定されていました。
1974年に西ドイツのヘルシュタット銀行の破綻でユーロ市場の信用収縮が起こり(最初のジャパンプレミアムが発生)、シンジケートローンの組成額・件数は激減したものの、1977年ごろから息を吹き返し、そこから拡大基調になりました。
当時、国際金融市場でのプレーヤーたちはシンジケートローンの組成件数を競い、1978年の組成額トップになったは米欧の大手銀行を押さえ、東京銀行でした。
業界誌「ユーロマネー」1979年正月号の表紙は、鎧兜に身を固めた武者の絵だったことを思い出します。
さて、
このシンジケートローンを国内融資の世界でチラホラ見かけるようになるのは1990年代後半から。
当初はメガバンクのメイン先に対する融資で、取引のない地銀等がシンジケートメンバーとして入るものでしたが、
ある段階から、K司さんがいうように、「これって、協調融資でいいんじゃないの」。手数料を先取りを目的とする手段に変貌してしまいました。
1970年代から80年代にかけて、国際金融の世界でシンジケートローンを担当した“老いた語り部”から、格好良いことをやりたいと思っている若者たちへのひとこと、
「手数料先取りのためのシンジケートローン、格好良いとは思えないけどね。」