週末は乗り鉄紀行です。
国鉄 (→ JR) の列車には列車番号がつけられているのですが、ワタシが初めて東京から大阪まで移動した昭和35年春、エースナンバー「1」番をつけた列車は、特急「つばめ」(下り)でした。
残念ながらワタシは「つばめ」ではなく、姉妹列車である特急「はと」に乗車 (東京発12:30→ 大阪20:00) したのですが、「はと」(下り) の列車番号は「3」。
いずれも松本清張の「点と線」(先週もテレビで放映されていましたね) のトリックでも登場する 15番ホームから出発していきました。
当時すでに東京と大阪の日帰りを可能にした人気の電車特急「こだま」が走っていた (昭和33年から) のですが、朝発下りの「第1こだま」の列車番号を当時の時刻表で調べてみると「101」であり、「つばめ」はエースナンバーを「こだま」に譲ることはなかったようです。
さて、
今日の「乗っておきたかった列車 (その11)」も、エースナンバー「1」列車でした。
寝台特急「さくら」、ブルートレインです。
高校生のころ、学校帰りにハカセとともに東京駅15番ホームによく行きました。
九州に向けて次々と出発するブルートレインの発車風景を見るためです。
列車番号
1 → 「さくら」 16:40 (長崎 佐世保行)
3 → 「みずほ」 17:00 (熊本行)
5 → 「はやぶさ」 18:00 (西鹿児島 長崎行)
7 → 「富士」 18:30 (西鹿児島行、日豊経由)
9 → 「あさかぜ1号」 18:50 (博多行)
11 → 「あさかぜ3号」 19:10 (博多行)
窓ガラス越しに送られる人と送る人、物語があるのでしょう。
いつかブルートレインで九州を訪れたいと思っていました。
社会人になり、九州に行くことは多く、時間に余裕のあるときは極力ブルートレインを利用しました。
しかし、
長崎、佐世保へは飛行機か、九州内の移動で白い特急「かもめ」利用、夜行列車で長崎入りした時もあったのですが、大阪から寝台特急「あかつき」。そういえば、筑後柳河駅から佐賀線 (いまは廃止) 経由の急行「ちくご」で長崎を訪れたこともあります。
結局、エースナンバー「1」の「さくら」だけには、乗る機会がありませんでした。
当時、「あさかぜ」と並んで憧れの個室寝台を連結していた「さくら」の旅を逃したのは残念です。
最後に、
冒頭の「さくら」の写真は、ハカセによるものです。
〜 上り2列車: 東戸塚~保土ヶ谷 1998年7月
〜 下り1列車: 門司駅 1997年10月
コメント
アレっ?
旅芸人殿は「つばめ」と思い込んでました。
昭和35年の春は、ワタシも客車特急で大阪行きでしたが、ワタシは「はと」でした。
旅芸人殿もはとだったんですか。どこかで記憶が交錯したようです。
つばめ、はとは同年5月に廃止でしたから(そんなことチイとも知らなかったが)こだまには目もくれず?客車特急にしたのは慧眼でしたね。
春の転勤シーズンは、見送りに来る人の関係で、午後の「はと」が多かったような。
電車特急「こだま」は人気で切符が取れなかったのかもしれません。
昭和34年のことです。
伊勢湾台風のほぼ1ケ月後に、「さくら」で、生まれて初めて上京したのを思い出しました。
小学校入学をひかえ、見聞を広めるため、父の出張に合わせて計画してくれたもので、長期にわたる初めての家族旅行でした。ベッドから落ちた事、明るくなりかけた頃に名古屋にさしかかり、水害の傷が残る長良川を見て、妙に不思議な思いがこみ上げた事、富士山に「たんこぶ(宝永火口)」があったこと・・・。懐かしく思い出しました。
そういえば、帰りは暗くなったころ、東京駅を出発する「こだま」で名古屋まで行きました。やたらかっこよくて、せがんだのを覚えています。この日は私の6歳の誕生日で、父からの誕生日プレゼントでした(笑)。
こだまに乗ったのは、あとにも先にもこの時だけです。60年前の、貴重な思い出です(笑)。
寺岡さん、
懐かしいお話、ありがとうございます。
寺岡さんが、初めて上京されたころの時刻表を見ました。
当時、さくら、みずほ、はやぶさ、あさかぜの4本のブルートレインが走っていました。ブルートレインは下関と広島は全列車が停車するのですが、その間の停車駅となると、
さくら→ 西宇部、徳山
みずほ→ 柳井
はやぶさ→ 小郡、岩国
あさかぜ→ 三田尻、徳山
山口県はかつての西ドイツのように都市が分散している所以でしょうか。
さくらは西宇部に停車します。寺岡少年が「さくら」に乗車したというのは、よく分かります。
デビューからあまり時を経ていない当時のブルートレインは輝いていたでしょうね。
ビジネス特急「こだま」に乗られたというのは凄い。
うらやましいです。
往きはさくらで帰りがこだま? うらやましいです。
よくぞ鉄道少年にならなかったものです。
S35年から時々東海道を往き来しましたが、こだまのチケットはまさにプラチナでした。
シーズンにはチョット格落ちの車両(157系)を使った臨時特急「ひびき」なんてのも投入されましたが、それが取れただけでも御の字でした。
(それにしても、こだまに呼応してのひびきなんでしょうが何とも安直)
急行は次々に出てましたが、それらも激混み。
東海道本線がキャパ満杯、新幹線前夜の話でした。
「こだま」は、母の女学校(世田谷)時代のご家族が見送りに来てくださいました。
今でも、社内の様子が瞼に焼き付いてます。
・・・
「まもなく発射時刻となります。社内でお見送りのお客様は ホームにてお見送りいただきますよう、お願いいたします」
・・・
だったと思いますが、社内アナウンスも、はっきり聞こえてくる気がします(笑)。
お見送りというと、当人がデッキに立って(電車時代ではない)、バンザイで送られるというのが定番で、そういう場面に何度か遭遇しました。
父親は、あんな恥ずかしいことはマッピラだと言いながら、結局寝台急行「月光」でバンザイで送られました。
そういえば、ウチの母親の女学校も世田谷でした(小田急)。