不作為犯を撲滅する仕掛け

リスクを伴う新しい取り組みを始めるにあたっては、経営陣が腹をくくり、本部は現場が行動を起こせる仕組みを組み立てねばなりません。

89日のブログ「ミドルリスク層をやれという前に」で書いた通り、現場が信用リスクの高い中小小規模企業との取引に踏み込むためには、リスク管理のための行動指針を与えること。

そして、業績評価については、従来からの定番である不良債権化した際の罰則だけではなく、ランクアップした時のプラス (金利や融資ボリュームの効果の比ではない) の評価が付与されない限り、現場が動くことは期待できません。

リスク管理の行動指針、ランクアップの業績評価が構築されると、現場が取り組まない理由は消滅します。言い訳ができません。あとはやるだけです。

それでも、

動かない現場の人たちがいることは否定できません。

とくに地域金融機関の場合、仕組みが出来上がっていても、なかなかリスクのあることに取り組まないところがあります。

これは不作為の罪です。

84日のブログ「不作為犯を許すな」にも、このことを書いたのですが、それに対して、次のような意見をいただきました。

「人間は、心理的安全が無く、且つ減点評価主義だと、必ずと言っていいほど、不作為犯になります。」(H)

人間は、管理職に着くと、必ずと言っていいほど、不作為犯になります。」(Y)

夏休みに入り、不作為犯を撲滅するための仕掛けを考えています。


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コメント

  1. 新田信行 より:

    もともと、自ら変革をしようとする人は少ないのかもしれません。よほど酷い状況でない限り、自分は変わりたくない人のほうが大多数のように思えます。組織が追い込まれ、トップが強烈な危機意識を持ったとき、変革の可能性が生まれます。しかし、職員の危機意識をあおることは、職員の会社への愛着心や絆を削ぐことになりかねません。トップには、危機を受け止める一方で、職員が安心して改善に取り組める雰囲気を創る胆力が求められます。

  2. 森脇ゆき より:

    不作為犯はどこからくるのでしょう?また不作為犯になれない人はどんな思考なのでしょう?

    ある時ふと「組織は棺桶で、その中で働く人はゾンビ」と思った瞬間に、身の毛がよだちました。

    組織での一人の力を募金に例えます。

    私一人の力など、募金で言えばたった10円。その10円なんて何の役にも立たないと思い、止めてしまえば「無」です。

    しかし「10円でもいいんだよ、きみの10円が大きな力なんだ」という声を掛けていただければ、10円のわたしがクローズアップされます。

    私は非常に単純で、夫が10円の力しかない私に独立を勧めてくれたことが救いになりました。

    (渋沢栄一の銀行創設時の話も似たようなものですね)

    組織の中で人は自分を小さく感じるものではないでしょうか、また、個として見られていないと思うのではなにでしょうか?

    社内の不作為犯対策はやさしい声かけでしょうか?甘いでしょうか?

    店頭の防犯対策も「声かけ」です!(みてますよの合図)