🏯城下町の名水、したたかな城主

昭和末期、当時の環境庁が選定した名水百選が発表されて以来、折に触れて、名水の地を訪れています。

とくに城下町と名水のコラボには興味をそそり、島原市の島原湧水群や、郡上八幡の宗祇水などに足を運びました。

百選のひとつで、未踏の“名水の城下町”は、秋田県六郷(現在は美郷町)と「六郷湧水群」です。

https://water-pub.env.go.jp/water-pub/mizu-site/meisui/data/index.asp?info=10

秋田県民や秋田にゆかりのあるひとたちからは、ニテコサイダーという名前を聞くのですが、これは六郷の水をベースとしたご当地サイダーで、120年の歴史があります。

↑「あきた美郷づくり」ホームページより

さて、

六郷は小さな城下町です。

2月18日のブログ↓でも書きましたが、

関ヶ原戦以前、羽後国(秋田県)は秋田、小野寺、戸沢の3勢力がしのぎを削っていました。

東京銀行時代の同僚で、モルガン・スタンレー証券などで活躍した井手俊太さんのフェイスブックは、日本全国の隠れた名所、名山、ご当地グルメ、歴史...

そのひとつ小野寺氏の傘下に入っていたのが六郷城主の六郷氏でした。所領は5000石弱。

関ヶ原戦において、小野寺氏が石田方に与して滅亡する一方で、六郷氏は徳川方に属し、戦後は佐竹の旧領の常陸国府中(石岡市)で1万石の大名となります。

その後、最上家が改易となり、出羽国の南部に大空白地ができたときに、六郷氏は加増されて出羽国に復帰します。由利本荘で2万石となり、明治維新まで続きます。

https://www.city.yurihonjo.lg.jp/1001503/1002089/1006987.html

戊辰戦争でも佐竹秋田藩とともに西軍に属して庄内藩を攻撃するなど、六郷氏は小藩でありながら、したたかに家名を存続させました。

六郷の水と比べると知名度は劣りますが、旅芸人はこの小藩の生きざまに興味を持っています。