50年前、1968年6月某日。
高校の部活仲間とともに、東京駅 23:30発の大阪行 夜行列車 143レ (普通列車です) に乗り込んだのです。
この夜行普通列車は、その後に大垣行の夜行電車に短縮され、いまは不定期列車「ムーンライトながら」として、青春18切符のユーザーに人気があります。
列車はほろ酔いの通勤客を下ろしつつ、大船あたりから夜行列車らしくなり、小田原、熱海、三島、沼津、富士と主要駅のみに停車しながら、深夜2時を回ったころに静岡駅に到着。
待合室で浜松方面の一番列車を待ちがてら、しらじらと夜が明け始めた駅前の東海軒本社にドヤドヤと押しかけて、できたての幕の内弁当を購入、腹ごしらえをしました。
いまでも静岡駅の新幹線ホームで東海軒の駅弁売り場を見ると、この時のことを思い出します。
静岡から一番電車で焼津まで乗車し、魚市場を見た後、今度はバスでウナギの養殖場を見るために榛原へ。
榛原からバスで牧之原の茶畑見学へと向かう途中、相良の街で途中下車しました。
遠州相良は御前崎の玄関口に位置します。
現在はお隣の榛原町と合併して牧之原市となっていますが、かつては1万石の城下町でした。
相良城主として著名なのは田沼意次です。池波正太郎さんの剣客商売でも、秋山大治郎の義父として登場しますね。
4月8日の本ブログで松平定信の白河を書いたので、宿敵 田沼意次の相良も取り上げねばなりません。
とはいえ、当時のワタシは相良の歴史よりも、相良を走っている軽便鉄道の方に目が行っていました。
静岡鉄道 駿遠線、これが相良を通っていた軽便鉄道です。
東海道本線の藤枝 (新藤枝駅) から南下し、吉田、榛原、相良、浜岡、横須賀を経由して、袋井 で東海道本線に合流します。
当時の時刻表を見ると、新藤枝から相良まで22キロあまり、60〜70分を要しています。
写真は駿遠線 相良駅の構内。
762ミリのナローゲージだけあって、遊園地のおサルの電車みたいだと思いました。短い滞在時間だったため、走っている姿を見ることができなかったのは残念です。
ワタシたちが訪れたわずか2ヶ月後、1968年8月に駿遠線のほとんど (大井川以西の区間) が廃止となってしまいました。
さて、
今回、改めて相良駅の看板には島田信用金庫が広告を出していることに気づきました。
静岡県は信用金庫が元気な地域で、地域割りが比較的ハッキリしています。
相良は掛川信用金庫のテリトリーと思っていましたが、島田の名前には少々驚きました。
そういえば、来年 島田信用金庫と掛川信用金庫は合併します。
ともに相良には支店があります。
地図で見る限り、両店舗は隣接していませんが、店舗統廃合の対象になるのでしょうか。
商売柄、こういうところが気になります。
(本日の写真はいずれもハカセの提供です。)
コメント
この記事、
うまい具合に「使用前」「使用後」の顔が並んでしまいましたなあ。
相良近くの浜岡に単身赴任中の遊び仲間がいたので相良は時々通りました。
その仲間の会社に本社筋から監査が来た時に、相良名物「ワイロ最中」を持たせたとか。
店にも寄ったことがあります。
そうそう相良にはワイロ最中がありましたな。
この手のギャグ菓子は津和野の源氏巻の方が年季が入っています。
駿遠線
前面の二枚窓を見るとなかなか精悍で軽便には見えませんが、ヒョイと下見ると連結器がいかにもでいいなァ。
その下の、スグ負けてしまいそうな排障器も。
愛用の昭和36年時刻表を見ると、静岡鉄道は袋井(新袋井駅)と遠州森を結ぶ路線もあり、12キロを40数分で結んでいました。静岡市内と清水市内は路面電車もあります。
静岡県は私鉄天国だったんですねぇ。
現在、残っている新静岡と新清水の区間は所要時間25分となっています。ちなみに現在、同区間は所要時間21分、急行だと16分です。
143列車ですが、これは全区間乗っておきたかった。
アッシも「部分乗車」しかなくて。
でも大垣までの電車化はヨンサントオでしたよね。
そこまで手(気)が回らなかったなあ。
青春18切符を愛用している70歳の人に聞いた話。
ムーンライトながらから鈍行列車に乗り継ぐと、翌日の夜には九州まで行けるのだそうで。
日付が変わった小田原から使えば1枚で九州まで行けると以前何かで読んだ。
それも八代までだったか。